奄美群島の紹介
位置
奄美群島は鹿児島と沖縄のほぼ中間の北緯28度に位置し、奄美大島から加計呂麻島、与路島、請島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島までの8つの有人島を指します。総人口は約12万人、総面積は約1,231平方キロメートルに及び、すべて鹿児島県に属します。
気候
海洋性亜熱帯気候で温暖多雨です。年間平均気温は約20℃、年降水量は約3,000mmで日本では有数の多雨地帯です。
奄美大島(あまみおおしま)
奄美群島で一番大きな島(面積712.39平方キロメートル)で、本土と沖縄、両方の影響を受けながらも、独自の文化を持っています。北部は平坦な農地が多く、サトウキビの栽培などが盛んに行われています。島の南部はほとんどが山地で、固有の生物が多く生息します。島独自の島唄や、黒糖焼酎、大島紬など、個性豊かな文化が特長です。
加計呂麻島(かけろまじま)
面積77.39平方キロメートル。大島海峡を挟んで奄美大島南岸と向かい合っています。また、地形は細長く、海岸線が複雑に入り組んでいるため、海岸線長は147.5kmと長くなっています。島内には小さな集落が30ヶ所程存在します。
請島(うけじま)
面積13.34平方キロメートル。加計呂麻島の南方に位置します。島には請阿室、池地の2つの集落があり、魚釣りやダイビングで訪れる観光客も増えています。
与路島(よろじま)
面積9.35平方キロメートル。加計呂麻島の南方に位置します。島の家々は珊瑚石を積み上げて外壁としており、特徴的なまちなみです。
喜界島(きかいじま)
面積56.93平方キロメートル。全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩で出来ており、最も高い所で海抜200メートル程度。大型の蝶オオゴマダラの北限地として、またリュウキュウアサギマダラの集団越冬でよく知られ、渡りをする蝶として有名なアサギマダラの本州から台湾方面へ向け南下するときの中継地となっています。
徳之島(とくのしま)
面積247.77平方キロメートル。島の中央には井之川岳(645m)を中心とした山塊が、北部には天城岳(533m)を中心とした山塊があり、多くの希少動植物が生息する森に覆われています。山塊の周囲は平地となっており、奄美群島では最大の耕地面積を有しています。相撲や闘牛も盛んです。闘牛は島民が古くから親しんできた伝統行事で、期間中は島全体が熱気に包まれます。
沖永良部島(おきのえらぶじま)
面積93.65平方キロメートル。カルスト地形が多く見られ、地下には大小200~300の鍾乳洞があります。主に平坦で、南西に位置する大山は島でもっとも高く標高245メートル。花き生産が盛んで、特にユリの生産量は日本一。また江戸時代後期に西郷隆盛が流された島でもあり、神社や復元された獄舎があります。
与論島(よろんじま)
面積20.8平方キロメートル。与論島は奄美群島最南端の、島の周囲をリーフで囲まれたサンゴ礁の島。 南に沖縄本島最北端の辺戸岬が見えるほど沖縄県に近く、文化的にも沖縄寄り。1983年に「パナウル王国」と称して観光の国を建国しました。ギリシア・ミコノス市の風景と似ていることから、姉妹都市協定が結ばれています。
地史的な成り立ち
地史を反映した独特な種分化・系統的多様化の過程を明白に表す顕著な見本
[約1000万年前]
ユーラシア大陸と地続きでした。
[約200万年前]
奄美大島、徳之島、沖縄島を含む中琉球が大陸から隔離されます。
[約30万年前]-[約2万年前~1.5万年前]
かつては近隣地域にも分布していた種(系統群)が絶滅していく中、新たな天敵(捕食者)やライバル(競争相手)が越えられない海峡で隔てられた島嶼にだけ種が生き残りました。
隔離により種分化し、島独自の環境へ適応し固有種へと進化しました。なお、奄美で見つかっている最古の人の痕跡は、約3万年前です。
奄美群島は亜熱帯に位置し、1年を通して暖かく、たくさんの雨が降ります。スダジイを主とする国内最大規模の亜熱帯照葉樹林が広がり、サンゴ礁の美しい海に囲まれるなど、豊かな自然が残された島です。
また、ユーラシア大陸や他の島と何百万年もの長い時間生きものの交流がなかったため、独自の生物多様性が育まれてきました。このような自然条件と島の形成過程を反映して、奄美群島には世界的にも珍しい生きものが数多く生息しています。
例えばアマミノクロウサギ。現在生息する最も原始的なウサギのひとつで、奄美群島がはるか昔にユーラシア大陸とつながっていた頃の生き残りとされています。
このような生物多様性の豊かな奄美群島の自然を、私たちは将来にわたって残していかなければなりません。