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九州地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記

九州いきものリレー⑦ 【雲仙地域】

2015年12月24日
雲仙 アクティブレンジャー 瀬戸口

こんにちは。雲仙事務所の瀬戸口です。

今冬は、島原半島のあちらこちらで「今年は暖かかね~」と言われる位、

例年より暖かな日が続いております。冬の雲仙岳と言えば、霧氷です!

私は寒いのは得意ではないのですが、それでもやっぱり「霧氷が見たいなぁ~」と

ボソボソ呟いている日々です('_')

  

(▲雲仙岳の霧氷)

  

さて、阿蘇事務所の藤田ARから生き物リレーのバトンを受け取りました!

阿蘇といえば広大に広がる草原!あか牛などの動物達が放牧されている雄大な風景は、

人々の心を惹きつける風景だなぁ~と、阿蘇に行く度に実感します。

実は、雲仙の山々にも、かつて沢山の馬や牛が放牧されていました。

今日の主役の生き物は「馬と牛、そしてミヤマキリシマ」です。

  

  

島原半島では、1000年以上前から放牧の記録があり、江戸時代には島原藩のお殿様(松平公)が

馬の生産に力を入れて、小型ながら体力のある地域ブランド"島原馬"が誕生しました。

今年、世界文化遺産に登録された福岡県の「三池炭鉱」は、有明海の下に広がる炭鉱で、

その石炭を地下から運び出すのに活躍したのが、実は島原馬だったと言われています。

国立公園に指定された頃(約80年前)には、雲仙岳を中心に、島原半島全体で馬8000頭、

牛7000頭が放牧され、広大な草原地帯が広がっていました。

その後、馬は戦争に動員されていなくなり、牛は牛舎で飼うのがメインになって、

放牧牛は、なかなか見られなくなりましたが、今でも3箇所で見られます。

  

(左:牧場の里あづま※1 中:田代原※2 右:西有家牧場)

 ※1撮影者:出口 りえ氏    ※2撮影者:木田 智氏

   

昔と比べると放牧牛の数は少なくなったのですが、牛舎は島原半島じゅうで見られます!

もちろんお味もgood!5年に1度開かれる和牛のオリンピック(全国和牛能力共進会)が

平成24年に開かれた際、日本一の評価を受けていますよ~!

  

実はこの牛、5月に雲仙の山を彩るミヤマキリシマと深~い関係があるんです!

牛や馬は、草はもちろん、木の芽や葉っぱも食べるのですが、ミヤマキリシマは食べません。

葉っぱに毒があるからです。その為、牛や馬を山に放牧しておくと、

食べられてもすぐ葉っぱを出せるシバの草原の中にミヤマキリシマが立ち並ぶ、

独特の景観が出来上がります。雲仙つつじとも呼ばれるミヤマキリシマの大群落は、

牛や馬のおかげで勢力を伸ばし、80年前には880㏊(現在の約20倍!)の

ミヤマキリシマ群落が広がっていました。が、国立公園指定の頃から、公園内での放牧は

オススメされなかったようで、どんどん放牧がやめられてしまい、

ミヤマキリシマ群落も20分の1まで減ってしまいました。

現在、牛によってまもられているミヤマキリシマ群落が唯一見学できる場所が、田代原高原です。

  

(▲田代原高原  撮影者:柴田 鹿吉氏)

  

このような貴重な田代原高原のことを、地元の子ども達に知ってもらおうと、

今月7日にイベントを実施しました。雲仙市の西郷小の2年生を対象に、

雲仙岳の"お山のめぐみ"を体感してもらうイベントです。

山の中腹でユズを収穫し、田代原高原でユズジュース・ユズごしょう作りを体験。

その後、放牧草原に入っていって、紙芝居を見てもらいました。

  

(▲自然教育フィールド活用事業の様子)

  

子ども達に、昔は山の上まで馬や牛が放牧されていたこと、そのおかげでミヤマキリシマが

綺麗に咲いていたことを紙芝居で紹介しました。

かつての風景を戻すことは、難しいことかもしれません。しかし、忘れられかけている歴史を伝え、

地元のお山の恵みを体感してもらうことで、ちびっ子達が、地元の自然や歴史を考えるきっかけになってくれたらいいなぁと思いました。そして将来、他の地域の方々に雲仙岳のお山の素晴らしさを紹介出来るような大人達へ成長してくれるのを願っています。そのような事を思いながら、今後も普及啓発頑張ります!

  

(仁田峠のミヤマキリシマ群落)

  

雲仙岳に来られて、ミヤマキリシマ群落を見かけたら、"馬や牛の芸術作品なんだな~"と

思い出していただけたらと思います!

  

次回は、阿蘇事務所の田上ARにバトンタッチ!お楽しみに~♪♪