長崎大学名誉教授 鎌田泰彦
1.対馬島の自然地理
対馬は、北北東から南南西に細長く伸びた島で、南北82kmの長さと、東西の最大幅18kmをもちます。長崎県では最も大きな島で、その面積の696平方キロは五島の福江島(326平方キロ)のおよそ2倍の広さです。中央部の浅茅湾(あそうわん)をはさみ、北と南の地域(上島・下島)に分けられます。この両地域が接続する細長い地峡は、明治33年(1900)海軍によって開削されて万関水道となり、浅茅湾と東側の外洋とが通じるようになりました。この水道にかけられたのが万関橋で、現在のものは3代目です。 対馬北部地には、海抜300~500mの等頂面が認められます。分水嶺は東側に偏り、主要河川の佐護川、仁田川、飼所川、三根川は、すべて西海岸に流れこんでいます。 中央部の浅茅湾内の海岸は典型的な沈水地形をもち、細長い入江と岬とが複雑に交錯するリアス式海岸が発達しています。浅茅湾の周辺地域は、海抜50~100mの低い丘陵地となっています。浅茅湾奥の島山島は複雑な海岸線をもち、地形学では骸骨島(スケルトン・アイランド)とよばれる島です。島山島と本島との間の狭瀬戸は、延長1,600mにもおよぶ細長い水道です。ここでも典型的な沈水地形の景観を見ることができます。最近、この水道をまたいで「浅茅パールブリッジ」が架けられ、橋の上からもこの水道の様子を眺められるようになりました。 南部の下県山地の東側は、熱変成作用を受けて堅硬になった岩石が分布するホルンフェルス帯です。この一帯では、上見坂から厳原の市街地背後の有明山(558m)にかけて、海抜500m級の山地をつくっています。下県山地の南半部には、対馬最高峰の矢立山(649m)をはじめ、海抜500~600m級のホルンフェルス帯の山々が、ほぼ円形の内山盆地を取りかこむ格好でならんでいます。内山盆地は、深成岩のかこう岩の頭が地表に顕れた後に、風化と侵食作用を受けて形成された侵食盆地です。
2.対馬周辺の海洋地質
対馬は、日本本土と朝鮮半島(韓半島)との間に位置しているため、弧状列島と大陸との関係を検討する際の重要な拠点となっています。また、対馬海峡は東シナ海と日本海とを結ぶ重要な水路であり、黒潮から分離した対馬暖流が、対馬沿岸を洗いながら日本海に流入していきます。東シナ海で操業する日中韓の漁船から投棄されたと思われる漂流物が、対馬の海岸に大量に打ち上げられますが、公害問題ばかりか、海洋学の一つの研究課題としても取り組む必要がありましょう。 九州本土周辺の大陸棚は、壱岐島のまわりにまで拡がり、壱岐水道の最深部は-63mにすぎません。しかし、壱岐と対馬との間の、対馬海峡東水道では、水深100m前後の平坦面(最深部は-136m)が広がり、等深線はおおむね北東-南西方向に伸びています。対馬の東岸沖では、-70~80mまでは急に深くなり、その先でこの平坦面に移行します。 一方、対馬と韓国の間の対馬海峡西水道(朝鮮海峡)では、対馬の西海岸にそって底面は急激に低下しますが、-150mあたりから南北性の船底型の「対馬舟状海盆」(最深部は-228m)に移ります。対馬舟状海盆の中軸は、対馬北部の沖合いの10~15kmにあり、その成因は南北性の大断層と考えられています。上県町の棹崎から伊奈までのおよそ11kmにもわたって、海食崖が延々と続く直線的な海岸線の成因も、この対馬舟状海盆の形成と関連があるものと思われます。
3.対馬の地質 とくに対州層群について
対馬の地質の大部分は、新生代の古第三紀(およそ3,000万年前)の海底で形成された「対州層群」とよぶ地層で構成されています。対州層群は、おもに暗灰色~黒色の泥岩が重なりあった、非常に厚い地層です。泥岩が強く圧縮され、よく締まった岩石になると頁岩(けつがん)とよばれます。対馬でも、古くから頁岩という呼び名がよく使われていましたが、泥岩でも頁岩でも起源的にはまったく同類の堆積岩です。対馬の北部地域では、地層が露出するがけの下に、先の尖った細長い泥岩の破片が積もっているのが見受けられます。これは対馬に特有な現象で、専門家はこれを「剣尖構造」(けんせんこうぞう)とよんでいます。泥岩に含まれる微細な植物の繊維が、一定方向に並んで含まれるために生じる現象と考えられています。
対州層群の泥岩には、時折板状の砂岩が挟まり、互層となることがあります。また、厚い塊状砂岩が発達しますが、側方に追跡するとやがて薄くなり、ついには尖滅することもあります。また、場所により、礫質砂岩~礫岩層や、火山礫を含んだ凝灰岩(火山灰が固まった岩石)を挟みますが、たいていは薄い地層です。
対州層群は連続的に堆積した厚い地層であり、厚さは5,400mにも達します。大別して下部・中部・上部の3層に区分されています。
(「対馬の地質・地質構造概要図」参照)
1.下部層(層厚2,400m) 厳原町北西部、小茂田~若田付近の佐須川流域を模式的分布地とし、下部は泥岩からなり、上部に砂岩層を挟みこんで互層となります。
2.中部層(層厚1,620m) 美津島町東部の浅茅湾の湾奥部地域を模式的分布地とし、無層理の泥岩よりなり、砂岩・泥岩の互層や砂岩層をはさみます。また、砂岩層の上面の化石漣痕や、堆積直後の地層内に生じた変形構造(スランプ構造)が発達します。泥岩からは、しばしば海生の貝類やウニなどの動物化石や植物化石が発見されます。
3.上部層(層厚1,370m) 豊玉町東部の、塩浜より北東にのびる半島部を模式的分布地とします。地層は、泥岩や砂岩・泥岩の互層よりなり、上位にむけて砂岩層が次第に厚くなるようになります。
4.対州層群の褶曲構造
対州層群は、堆積後の側圧を受けて、北東-南西方向の軸をもつ大規模な褶曲構造をもちます。これは、地層面が背斜(板付きかまぼこ型)と向斜(船底型)をくり返す湾曲構造が並列しているものです。地層面の傾斜は20~30°が普通ですが、西海岸では急傾斜となり、時には垂直層となる場合もあります。山の斜面と地層面の向きが一致している様な場所では、豪雨時にはしばしば「流れ盤」的な斜面崩壊を起こすことが多いので、防災上で常に注意をする必要がありましょう。
5.対馬の貫入火成岩
対州層群には、部分的に火成岩(深成岩のかこう岩、半深成岩の石英斑岩や粗粒玄武岩)が貫入しています。対馬では、壱岐やチェジュ島(済州島)の様に、地表に噴出した火山岩類は知られていません。
1.内山かこう岩(花崗岩) 厳原町南部の内山盆地を流れる瀬川の「鮎戻し」の川底には、真っ白い硬い岩石が露出しています。これは「内山かこう岩」とよんでいる岩石で、新第三期の中頃(約1,600万年前)に対州層群に貫入した細粒の黒雲母かこう岩です。「鮎戻し自然公園」内には、球状風化作用によって生じた玉葱状構造の芯の部分が、巨大な玉石の転石として点在します。これは、長崎県ではきわめて珍しい、貴重な自然現象です。 内山かこう岩のまわりの対州層群は、貫入の際に放出する熱によって変成され、堅硬なホルンフェルス帯となり侵食に抵抗して高い山となります。下県山地の東・南部がホルンフェルス帯であることは、すでに述べた通りです。対馬名産として古くから有名な「若田硯」の原石の産地は、ホルンフェルス帯と非変成帯との境界部にあたります。 内山かこう岩による熱変成作用は、地表では美津島町までは及んでいません。しかし、雉知ダム付近で実施した温泉ボーリングの結果では、地表から約400mあたりから泥岩は硬質となり、約750mの深度以下にかこう岩が伏在していることが確認されています。
2.白岳石英斑岩・斜長斑岩 美津島町の南西部で、白岳(515m)から遠見岳~立石山~城山~鶴ケ岳~飯盛山へと、南北に延びる白い岸壁を見せている連山には、約1,400万年前に対州層群に岩床状に貫入した「白岳石英斑岩」と呼ぶ半深成岩が露出しています。この岩体は層状に東傾斜しているために、突出する山稜の西側は急峻で、東側は緩斜面となります。この様な状態は「ケスタ地形」とよばれています。天然記念物(国指定)「洲藻白岳原生林」、特別史跡(国指定)「金田城跡」、浅茅湾の景勝地「鋸割岩」などは、この白岳石英斑点の露出地です。 厳原桟橋から美津島町雉知に至る海岸地帯には、「斜長斑岩」とよぶ白い半深成岩が分布しています。変質して陶石化した部分は、窯業原料として対馬高校の近くで採掘されています。
3.粗粒玄武岩(ドレライト) 上県山地で、まわりの山々より突き出た山頂を持つ上県町の御岳・千俵蒔山や、上対馬町の権現山などは、対州層群に貫入した粗粒玄武岩が侵食から免れ、山頂に残留した残丘(モナドノック)です。天然記念物(国指定)「御岳鳥類繁殖地」は、粗粒玄武岩が分布する御岳の山頂部にあり鬱蒼とした原始林の中には、苔むした粗粒玄武岩の岩塊が散在しています。また、上対馬町の名勝「鳴滝」は、粗粒玄武岩が露出した高さ15m、幅20mの岸壁にかかる滝です。
(了)
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