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とらやまの森第4号

 

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ツシマヤマネコの過去・現在・未来


北海道大学理学部附属動物染色体研究施設
増田隆一

 ツシマヤマネコはいつ、どこからやって来たのだろうか?---この疑問が、私がツシマヤマネコとつき合い始めたきっかけです。
 日本にはツシマヤマネコのほか、イリオモテヤマネコが唯一のヤマネコとして生息していますが、これらを含めて世界には約40種の野生ネコ科が知られています。その中で、ツシマヤマネコが進化上どんなネコと近いのかを知ることは興味深いことです。また、ヤマネコがどんな進化の歴史をたどってきたかを明らかにしておくことは、今後、保護していく上でも重要なことです。その目的のために、私は遺伝子(DNA)を調べることにしました。ここで、DNA分析について少しだけ考えてみましよう。

 最近、「遺伝子治療」「遣伝子組み換え食品」とか「クローン動物」とか、遺伝子の話題がいっぱいです。しかし、DNAを使えば何でもわかると考えるのは見当ちがいです。一方、DNAを調べても大したことはわからないだろうというのもまた誤解です。私たちがDNAを分析するときの原則は「DNAは親から子へ伝えられる唯一の遺伝情報」ということです。生命の起源は、DNAのような自己複製(自分が自分とまったく同じものをつくる)する分子であったろうと考えられています。そして、何世代もの長い年月の間に少しずつ変化(突然変異)して、現在の生物多様性ができあがったのです。その変化は子孫である現生の生物のDNAに進化の歴史として刻み込まれています。よって、このDNAの系列をたどれば、生物の過去の歴史が明らかになってくるわけです。DNAのちがいは生物と生物の進化距離をはかる「ものさし」として使うことができるのです。たとえば、ツシマヤマネコからみつかったネコ免疫不全ウイルス(FIV)がイエネコ由来であると考えられているのは、東大の辻本元先生たちの分析により、ヤマネコとイエネコのウイルスDNAが極めて似かよっていることがわかったからです。つまり、ウイルスにこの「ものさし」を当てたわけです。また、DNA分析技術の発展はめざましく、遺伝子増幅法という方法を使えば、1滴の血液、米粒ほどの組織、わずかな体毛からでもDNA分析が可能となりました。

 そこで、私は特にミトコンドリアDNAをものさしにして、ツシマヤマネコと他のネコ科の距離をはかってみることにしました。このDNAは近縁な動物間のちがいをはかるのに都合のよい遺伝子です。その結果、ツシマヤマネコはアジア大陸に分布するヤマネコ(マレーヤマネコ、スナドリネコなど)の仲間に近いことがわかりました。その中でも、ベンガルヤマネコと大変近かったのです。イリオモテヤマネコもこのベンガルヤマネコに近い距離にありました。つまり、日本のヤマネコは私たちの身のまわりにいるイエネコの仲間とは遺伝的に遠い関係にあるのです。DNAは時間の流れと共に変化していることは前述しましたが、その変化の速度を利用して、ツシマヤマネコがベンガルヤマネコと分かれた時間を計算してみたところ、今からおよそ10万年前と推定されました。一方、地質学の研究でも、10万年前頃に海峡によって対馬が形成されたと考えられています。現在、ベンガルヤマネコは朝鮮海峡を隔てた韓国に生息していますし、お隣の済州島にもごく最近まで分布していたといわれています。しかし、九州や本州には現在ヤマネコは分布していませんし、その化石もこれまでのところ報告されていません。これらのことを総合すると、朝鮮半島からやってきたツシマヤマネコの祖先集団が、海峡によって対馬が形成されたときに、島に隔離されたと考えてよいでしょう。

 次のステップとして、現在、私たちは別のDNAを使ってツシマヤマネコ個体間の距離(個体差)をはかっていますが、そのちがいは小さいようです。つまり、集団内の多様性は低いのです。これは、10万年もの長い間隔離されてきたため、集団内で近親交配が起こったり、遺伝子のタイプがかたよってしまった結果と考えられます。現在のヤマネコの個体数は100頭以下といわれていますし、ネコのような食肉類は広いなわばりをもつため、対馬の中で極端に個体数をふやすことはできなかったのでしょう。進化の流れの中でゆっくりと対馬の自然環境に適応してきたならば、これらの遺伝的特徴は現在のツシマヤマネコの生存にとって有利なものかもしれません。しかし、遺伝的多様性の低下は、新しい病原体に対する免疫力の低下、急激な環境変化に対する適応力の低下などをもたらしている可能性があります。最近ツシマヤマネコから報告されたイエネコ由来のウイルスは、ツシマヤマネコ集団にとっては新しい病原体であると考えられます。また、生息地の縮小や分断化のような急激な環境変化にもヤマネコたちは直面しています。このようなことを考えれば、ヤマネコたちは危険な状態におかれていることは確かだと思われます。

 少しずつですが、遺伝子の面からもツシマヤマネコの過去と現在が明らかになってきました。ここからいえることは、ツシマヤマネコにとって最もよい環境とは、当然のことですが、対馬で育まれてきた自然環境であるということです。未来を考えるとき役立つのは、過去と現在です。環境の保全を行いながら人と野生生物とが共存していくにはいろいろな試行錯誤や問題解決が必要になってくると思いますが、大切なことは過去と現在から学んだ教訓を未来に生かしていくことだろうと考えます。

 2ページでご紹介したとおり、ツシマヤマネコの組織の一部は増田先生にお送りしており、遺伝学的な調査・研究を行っていただいています。ツシマヤマネコの調査・研究は多くの方々が行っていますが、まだまだわからないことが多く残されています。ツシマヤマネコの保護を考える上で、このような研究からえられた情報は大変重要であり、非常に参考になっています。


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