ツシマヤマネコニュース
No.1じいちゃんが亡くなりました
2012年03月05日
センター職員日誌
3月1日朝、
2月中旬から体調を崩して入院し治療を続けていたツシマヤマネコ界のゴッドファーザー、
No.1じいちゃんが亡くなりました。15才でした。
No.1は1996年7月6日に上県町志多留で幼獣で保護され、福岡市動物園に輸送され飼育されました。
(対馬野生生物保護センターはその頃まだなく、島内で保護できるところがなかったそうです)
成長してからは、繁殖に参加して沢山の子ヤマネコの父親になりました。
センターで公開している「福馬」はNo.1の孫にあたります。
高齢となり繁殖に参加しなくなったため、2010年10月に対馬に里帰りしセンターで飼育していました。
対馬に帰ってきたときのNo.1
「福馬」の隣のケージにいて、よく「福馬」の後ろからお客さんの方を覗いていました(矢印のあたり)。
2月中旬に体調を崩すまでは、元気に掃除用ホースを襲ったり
ゴハンを早く食べたくてうずうずしたり
動きは若いヤマネコよりゆっくりでしたが、穏やかに暮らしていました。
公開はされていませんでしたが、
No.1の偉業を偲び、また、感謝の気持ちを込めてセンターに記帳台を設置しました。
記帳用ノートの表紙は、島起こし協働隊の松野さんが描いてくださった
とてもかわいいNo.1のイラストになっています。
みなさんのNo.1へのメッセージを、どうぞお寄せ下さい。
2月中旬から体調を崩して入院し治療を続けていたツシマヤマネコ界のゴッドファーザー、
No.1じいちゃんが亡くなりました。15才でした。
No.1は1996年7月6日に上県町志多留で幼獣で保護され、福岡市動物園に輸送され飼育されました。
(対馬野生生物保護センターはその頃まだなく、島内で保護できるところがなかったそうです)
成長してからは、繁殖に参加して沢山の子ヤマネコの父親になりました。
センターで公開している「福馬」はNo.1の孫にあたります。
高齢となり繁殖に参加しなくなったため、2010年10月に対馬に里帰りしセンターで飼育していました。
対馬に帰ってきたときのNo.1
「福馬」の隣のケージにいて、よく「福馬」の後ろからお客さんの方を覗いていました(矢印のあたり)。
2月中旬に体調を崩すまでは、元気に掃除用ホースを襲ったり
ゴハンを早く食べたくてうずうずしたり
動きは若いヤマネコよりゆっくりでしたが、穏やかに暮らしていました。
公開はされていませんでしたが、
No.1の偉業を偲び、また、感謝の気持ちを込めてセンターに記帳台を設置しました。
記帳用ノートの表紙は、島起こし協働隊の松野さんが描いてくださった
とてもかわいいNo.1のイラストになっています。
みなさんのNo.1へのメッセージを、どうぞお寄せ下さい。