ツシマヤマネコニュース
初午祭!!
2011年10月24日
センター職員日誌
水﨑さんがはちみつ取りをしていた頃…
上県町仁田の「目保呂ダム馬事公園」にて、初午祭が開催されていました!
「初午」は「はつうま」と読みます。
本来は旧暦6月の初午の日(今年は7月2日です)に仁田で行われていた、子供の健やかな成長を願う神事だったものが、明治時代に対州馬(たいしゅうば)で「馬跳ばせ」という草競馬を行うようになったのが、今のお祭りの原型です。
時代の移り変わりの中で途絶えてしまったこのお祭り、今回は記念すべき第10回となりました♪
今年は初めて、全てのプログラムを島内のジョッキーで実施しています!!
私もジョッキーとして参加させて頂きました。
相棒の凪子はのんびりおっとり、マイペースな性格で、レース中の会場に笑いの渦を起こしてくれました。
今回は対馬で伝統的に使われていた和鞍を使い、馬の和装を再現!
カヤや藁を括り付けたり、丸太を引かせたり、対馬の人たちの昔の暮らしはこんな風だったのか…と感心しました。
藁の縛り方がわからず、ゲストで来ていた昔の対州馬を知る方に手伝って頂く場面もありました。
荷物を下ろしたら、和鞍で競争。
宮本常一の「私の日本地図 対馬紀行」を思い出しました。
もちろん、対州馬の草競馬、「馬跳ばせ」も実施!
6頭立てのレースは圧巻です!
対州馬は日本に8種いる在来馬の1種で、島内にはわずかに27頭しか飼養されていません。
小柄ですがおとなしくて力持ち。更には練習すればこんな事が出来てしまう賢さも持っています。
(因みに、この「もんちゃん」が乗っている箱の幅は40センチです。)
ヤマネコの推定頭数(80~110頭)よりも更に少なくなってしまった対州馬ですが、馬事公園では春にメスの仔馬が誕生しました!
仔馬の名前は一般公募を行い、「夢花(ゆめか)」という名前を貰いました。
元気に育って、たくさんの仔馬を生んでくれたら…と思います。
対州馬の魅力に触れ合える目保呂ダム馬事公園、やまねこセンターによる際には、是非足を運んでみてくださいね!!
トレーナーの篠原さんは、「とらやまの森」54号「対馬の守人」コーナーにも登場しています!
http://kyushu.env.go.jp/twcc/torayama/back-number.htm
ところで…
調べてみたら、「初午」って、全国的には旧暦2月の初午の日に行うお稲荷さんのお祭りのようですね。
対馬の初午祭がどうしてこのような形になったのか、なかなか興味深いです。
上県町仁田の「目保呂ダム馬事公園」にて、初午祭が開催されていました!
「初午」は「はつうま」と読みます。
本来は旧暦6月の初午の日(今年は7月2日です)に仁田で行われていた、子供の健やかな成長を願う神事だったものが、明治時代に対州馬(たいしゅうば)で「馬跳ばせ」という草競馬を行うようになったのが、今のお祭りの原型です。
時代の移り変わりの中で途絶えてしまったこのお祭り、今回は記念すべき第10回となりました♪
今年は初めて、全てのプログラムを島内のジョッキーで実施しています!!
私もジョッキーとして参加させて頂きました。
相棒の凪子はのんびりおっとり、マイペースな性格で、レース中の会場に笑いの渦を起こしてくれました。
今回は対馬で伝統的に使われていた和鞍を使い、馬の和装を再現!
カヤや藁を括り付けたり、丸太を引かせたり、対馬の人たちの昔の暮らしはこんな風だったのか…と感心しました。
藁の縛り方がわからず、ゲストで来ていた昔の対州馬を知る方に手伝って頂く場面もありました。
荷物を下ろしたら、和鞍で競争。
宮本常一の「私の日本地図 対馬紀行」を思い出しました。
もちろん、対州馬の草競馬、「馬跳ばせ」も実施!
6頭立てのレースは圧巻です!
対州馬は日本に8種いる在来馬の1種で、島内にはわずかに27頭しか飼養されていません。
小柄ですがおとなしくて力持ち。更には練習すればこんな事が出来てしまう賢さも持っています。
(因みに、この「もんちゃん」が乗っている箱の幅は40センチです。)
ヤマネコの推定頭数(80~110頭)よりも更に少なくなってしまった対州馬ですが、馬事公園では春にメスの仔馬が誕生しました!
仔馬の名前は一般公募を行い、「夢花(ゆめか)」という名前を貰いました。
元気に育って、たくさんの仔馬を生んでくれたら…と思います。
対州馬の魅力に触れ合える目保呂ダム馬事公園、やまねこセンターによる際には、是非足を運んでみてくださいね!!
トレーナーの篠原さんは、「とらやまの森」54号「対馬の守人」コーナーにも登場しています!
http://kyushu.env.go.jp/twcc/torayama/back-number.htm
ところで…
調べてみたら、「初午」って、全国的には旧暦2月の初午の日に行うお稲荷さんのお祭りのようですね。
対馬の初午祭がどうしてこのような形になったのか、なかなか興味深いです。