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◇歴史・文化・活動資源
 ▽祭りと行事

形を変えながらも保存される伝統行事


 各集落では1年中各種の伝統行事が保存されています。過疎化の進行で若者が減少しているため、 簡素化したり、踊りの踊り手が高齢化したりしながらも集落の伝統として存続しています。各集落ごとに行う行事と、いくつかの 近隣の集落が集まって行う行事があり、各地区ごとに様式には特徴があります。
 琉球王府時代に定められた宗教上の神官にあたるノロや、根神(ニーガン)、カミンチュといった役割を持つ人々は、現在でも 祭りや行事を取り仕切り、重要な役割を果たしています。しかし普段は集落を離れ都会で生活し、祭りや行事に合わせて帰郷する ケースや、カミンチュが集落にいなくなったケースもあり、昔と比較すると人々の生活形態は変化しています。
やんばるの各集落に残る主な祭事・行事
名称 名称
(方言)
実施月日
内容
初起し/初原  
1月
元日から3日までの間に、初起し/初原が行われる。初起しは仕事始めで普通2日に行われ、初原は農事始めで普通3日に行われるが、村民の生活が殆ど農業である国頭村では、初起しも初原も同じ内容の行事である。強いて言えば、一部にある初山入り、舟祝い、大工祝い、初荷、初売りは初起しに入り、広く行われている鍬始めは初原に属する。
年月

トシビ

1月
年月は健康予祝であり、1/2〜13迄に、生まれた年の十二支と同じ十二支に相当する日を年月といい、御馳走をこしらえて客を招き酒宴を張った。その中で13、25、37、49、61、73、85、97才の廻り年の人は特に祝われるが、60才以上は長寿者としていっそう盛大に祝われた。女子の十三祝いは髪上げ式であるが、生家での最後の祝年月として重視された。
七日正月(七日節供)  
1月
先祖に豚の脚料理を供した後、家族がこれを食べる。また一門毎にノロ殿内や井泉やその他の拝所を拝む所もある。松飾りは多くこの日に徹される。七日は上弦の日として原始民族以来の忌日であり、特に正月七日は小正月の物忌の始まる日として重んぜられていた。
彼岸祭  
2月
北は沖縄本島の辺戸から、南は与那国までの全島各地で行われている行事である。同じ行事は8月にもあり、各々春分と秋分の日を中日とし、前後7日間に渡っていた。中には2月と8月のいずれか一回だけの村落もある。春分、秋分は昼夜均分の日で一日中太陽を拝みながら野山で遊ぶ日であったが、やがて仏教に取り入れられて彼岸会となったと見られている。
三月三日 サンガチサンニチ
3月
三月三日は物忌をしてけがれを払う日であり、そしてそれは稲の生育を祈ることと深く関係していた。一般にはよもぎ餅を作り、浜遊び、磯下りを内容とし、桃の節供、女の節供とされる。国頭村の各地でも種々の形で行われているが、特に桃には関係はなく、その替わりに女達の舞踊がある。また、必ずしも女の節供ではなくむしろ男の節供ですらある。この日はまた男女が縁結びをする日でもある。元来、水辺に出るのは祓いをして水神をまつるためであり、水神は蛇に化身すると信ぜられている。そこでその祭には蛇の好む酒や女を供える意味の行事が行われた。杯を流す流暢曲水の宴は水神祭から変化したものである。
清明祭 シイミー
3月
一門そろって墓前で先祖の霊を祭る行事である。各戸とも餅と肴を重箱に詰め、神酒を用意して門中墓に参って挙祭する。これを門中お清明といっている。その他、全島に散在している門中が一緒になって、その祖先に由縁のあるところを祭る、神お清明というものがある。清明祭は中国系の行事だけに、行わない村落が多い。国頭村では宜名真のみが盛んである。
畦払い アブシバレー
4月
農作物、特に主要作物の稲は虫に弱い。その成熟期を前に農民が斉戒し、虫害除去のために虫送りをなし、また豊凶の占いも行った。畦払い当日は部落民総出で畦の草を払い、ネズミやイナゴを捕らえて芭蕉の葉柄で作った小舟に乗せ、ノロ以下神人達が祈願した後海に流した。当日は多くの村落で浜下りがある。また、この一年間に誕生した幼児のために、始めて浜下り即ち「初下り」をするところも多い。現在の畦払いは、4月15日前後に最も多く行われる。以前は2日にわたって行われていたが、現在では殆どが1日に短縮されている。
五月五日 グンガチグニチ
5月
五月五日には、王城の公事としての端午の節供と、民間行事としての節供(シク)があり、豊作祈念祭としての行事である。前日の五月四日(ユッカーノヒ)には、競漕を伴う海神祭と豊年祈願祭があるが、国頭村では見られない。爬竜舟(ハーリー)は公事として行われたが、これは五月四日の民間の競漕が公事化されたもので、競漕は豊凶を占うためのものであったが、ハーリーになって遊技的になった。また、この行事をハンカーと言って、豚を供えて邪気払いを行っている部落もあるが、五月五日本来の行事の一つかは分からない。
七夕  
7月
7月7日は重日なので中国では大切な日であった。その上7日は上弦の日に当たるので古代人にとって神を祭る重要な区切りの日であった。7月7日の本源的な意味は畑作の収穫を感謝する日である。また、祖霊的な意味合いも強く残っており、一門墓や村墓に参り墓の周囲を綺麗に掃除して帰ることは各村落で行われている。更に一種の施餓鬼で、過去一年間に死んだ者、特に水死者の霊を弔う所もある。
盆祭  
7月
沖縄の盆祭は正月行事と並ぶ重要なものになっている。盆には祖霊を仏壇に迎えて祭るが、沖縄では仏としての祖霊を祭るのではなく、神として祭るのである。精霊(ソーロー)迎えは13日に行われる。その日は位牌等を洗い清め霊前を綺麗にし、盆花、各種供物等を供える。御供えがすんで夕方になると、門口に迎え火をたいて精霊を迎え、家族全体でこれを祭る。14日は3回霊前に膳を供える。特に昼には田芋、里芋、素麺汁を供える。15日も朝昼膳を供える。その日大体の村落ではガンシナとタフイ(山桐)を飾る。16日に居所に行き着くとも言われているので、盆送りは15日夜遅く行われる。送る際にはミンヌクの上で打紙を焚き、それにお初を添えて門前に出す。現在の盆祭には、中元節の行事が混入しており、関係のある家の仏前に何か供えている。これが中元で贈り物は多くが茶、煙草、線香などである。盆には正月と同じく他郷に移住しているものが郷里に帰った。また、盆には盆踊りがつきものであるが、それは精霊を慰める意味を持ち、更に無縁者を追い出す意味も有している。エイサーは沖縄の盆踊りであり、いわゆる七月遊びで、男女が各戸を廻り、最後に部落の広場で円陣を作って踊る形式のものが多い。
シヌグ折目  
7月
現在国頭村でシヌグ折目は、安波、安田、楚洲、奥、辺戸で海神折目と隔年に行われている。祭日は安波、安田は7月上亥日で、その日が七夕とかち合うと中亥日に行っている。楚洲、奥、辺戸は中亥日である。シヌグ祭はシヌグ舞(ウシデーク)という神遊び舞をすることから来た名称であり、行事の内容から見て山の神の祭即ち豊猟や豊作をニライカナイ大王に祈る祭であったことが知られる。また、ノロの司祭中最大の祭でもある。
海神祭 ウンジャミ
7月
海神祭はシヌグ祭に対するものであり、浜から宇嘉までは毎年、辺戸から安波まではシヌグ祭と隔年で行われる。祭日は宇嘉、奥、楚洲、安田、安波は7月上亥日、その他は中亥日である。主な内容は、御願、神遊び、不浄物を海に流すナガレ等の行事や猪取り、舟はらし、魚取り等の行事があり、部落毎にかなりの相違がある。ウキイ拝みをするシヌグが山の幸(豊猟、豊作)を祈る祭であるのに対し、ウナイ拝みをする海神祭は海の幸(豊漁)を祈る祭であると言える。何れにしても、海神がニライカナイからやってきて一切の禍を払い、豊猟、豊作、豊漁を祈る行事が、この二祭の本来的なものであろう。
喜如嘉祭り  
7月
大宜味村喜如嘉区の祭りで、ウシンデーク、エイサー等が行われる。
有銘大綱引き  
7月
収穫感謝祭の行事の後、メー(前)バールとクシ(後)バールに分かれて綱引きが行われる。以前は西が勝てばその年は豊年で、東が勝てば運が海に流れるとか、引き込まれるとか称して凶事になると言い伝えられていた。
柴差 シバサシ
8月
八月折目または八月カシチーとも呼ばれており、悪霊、悪疫を払うために桑の小枝とススキの2〜3本を束ねたものを、家の軒や四隅、碑文(ヒンプン)の左右等に差す行事である。ススキは青木(シチョク)と共に神の依代になる草である。この折目は8月9日〜11日まで行われるのが古式である。また、柴差を八月カシチーとも言うのは、六月カシチーと同じく、小豆の入った強飯を作るからである。3日目の11日にはヨーカビ(国頭村ではヨーハビ=妖怪火)と言って子供達は悪霊を退散させるために盛んに爆竹を鳴らす。
冬至 トンジー
11月
沖縄の民間では霜月下弦の日(11月23日)を冬至とする考えが近代まで続いた。沖縄の冬至には各家々とも田芋を煮たり、雑炊(冬至雑炊)を作って祖先に供え家族もそれを食べた。雑炊には田芋の葉柄が入る。この雑炊を食べると新年を迎えたも同じで、冬至正月とも言われた。
鬼餅 ムーチー
12月
12月8日の行事で、二寸位の細長い餅を月桃(サニン)または蒲葵(クバ)の葉で包んで束ね、それを火の神、仏前、床の神などに供え、他は細縄で編み、天井からぶら下げて数日間おいておく。餅の煮汁は「鬼の足を焼く」と唱えながら家の隅々にかけたり、門口に注いだりするほか、餅を包んだ葉で十字形に鬼の足を型どって戸口につるすところがある。琉球国由来記には鬼餅の由来が記されているが、やはり餅と関係させながら鬼を払うものである。これには一年間の厄を払う意味が含まれており、正月神を迎えるための厳重な意味であり、掃煤(ススミチ)行事にもつながっている。
年の夜  
12月
除夜は1年の終わりであると共に新しい1年に続く夜である。正月迎えの準備は24〜5日から急ピッチとなる。正月豚殺は大体28日に行われる。1軒に1頭屠るが、最近では数軒で1頭と言うところもある。肉に干大根を入れ血煎(チーイリチャー)にして祖先に供え、来年も大きな豚が育つことを祈る。それ以後種々の飾り付けを行う。年の夜には豚料理や大根のナマス等をこしらえ、一家揃って年の暮れを祝う。年取膳に当たるもので、この膳がすんだときにはめでたく年を一つ重ねたことになる。産み月の近い妊婦には早く膳につかせる。生年は算え年で数えるので年越しそばはないし、寺院がないので除夜の鐘もない。また、あれだけ神拝みの盛んな沖縄でありながら、元日の初詣もない。
国頭サバクイ クンジャンサバクイ
不定期
東村川田の国頭サバクイは木遣り歌の一種で、国頭地方に古くから伝わる労働歌である。サバクイとは琉球王朝時代の役職名で、川田のサバクイの歴史は280年になると言われている。村や区の行事・祭り等多くの場所で随時踊られる。
(出典:国頭村史、大宜味村史、東村史ほか)

比地海神祭1 比地海神祭2
比地海神祭
比地海神祭
塩屋海神祭1 塩屋海神祭2
塩屋海神祭
塩屋海神祭
喜如嘉まつり1 喜如嘉まつり2
喜如嘉まつり
喜如嘉まつり
川田国頭サバクイ 有銘大綱引
川田国頭サバクイ(山城定雄氏撮影)
有銘大綱引(山城定雄氏撮影)