対馬野生生物保護センター

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とらやまの森
環境省 対馬野生生物保護センター ニュースレター

とらやまの森第6号

 

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ツシマヤマネコと過ごしてきた日々


上県町水産観光課
川本 豊信

 対馬野生生物保護センターは上県町の町有地である佐護の棹崎公園にあり、この公園の丘から朝鮮半島のプサンまでは49.5kmと本土(九州)までよりも近い。展望所からは目前にプサンの夜景を望むことができる。対馬は、大昔はユーラシアから九州に続く大陸であったが、氷河期の後の海水面の上昇により数万年前にできた大陸棚上の島で、周囲は海なのに島は山林ばかり目に付く。
 私は対馬で生まれ育ち、現在は上県町役場の水産観光課に勤めさせてもらっている。ツシマヤマネコについては、小さい頃からよく話を聞いていた。夜になると庭先の鶏小屋から1羽2羽と餌として空腹を満たしている話を聞いたり、見たりしたことがある。朝になると羽だけ残っていた。たまたま今年、町内で似たような事故が起こった。鶏小屋に忍び込んだツシマヤマネコがトラバサミにかかって悲しいことに重傷を負い、獣医が手術を施したが、懸命の治療も空しく死んだ。このような事故は滅多にないが、現在ツシマヤマネコの死因は、まず交通事故、次いで野犬による被害ではないかと思う。

 私は昭和60年上県町教育委員会に異動発令を受け文化財担当となった。遺跡については面白そうであったが、天然記念物のツシマヤマネコやツシマテン、ツシマジカについては死体の処理ばかりで大変だった。
 天然記念物の死体が見つかった場合、厳原にある対馬教育事務所へ電話報告と文化財滅失届の書類提出、これは面倒だがまあよい。一番困ったのは、現物を届けることであった。当時厳原まで約2時間かかる車中を、交通事故で頭が車体に接触してつぶれたものや内臓破裂したもの、悪臭がするものなどと一緒に過ごし、文化財担当はまさに死体処理班であった。

 このとき長崎県対馬支庁勤務の千々布義朗(ちちぶよしろう)氏(現在、長崎県自然保護課。とらやまの森第3号にいただいています。)には大変お世話になった。千々布さんは花の写真を撮らせると素人とは思えない。チョウセンヤマツツジが飼所川の上流の川岸に自生しているが、川面に写る濃いピンク色の花は美しいものである。その後千々布さんが本庁へ転勤となり、挨拶にチョウセンヤマツツジの絵はがきをもらったときには本当に美しい花だと感激した。そのはがきは今でも大切に保管している。
 文化財を担当していた頃、教育委員会を訪ねて来られた方があった。その方が有名な写真家の久田雅夫氏であった。町内の田の浜でツシマヤマネコの写真撮影に来られたのであった。「絶滅危惧種ツシマヤマネコ」の写真集は本当に素晴らしい本である(今号9ページでも紹介しています)。私も1冊購入して大切に保存している。

 もう15年近く前になるが、このころ知り合いになったのがネコの生態研究をされている九州大学の土肥昭夫氏と伊澤雅子氏(現在、琉球大学)である。先生方にお会いして、私は担当として勉強ができる喜びを感じていた。当時先生方は調査研究の基地にできるような貸家を探しておられたが、調査されている地区にはあいにく貸家はなかった。そこで、志多留(したる)で以前教職員住宅として建設され、その後、町が払い下げて空き家になっていた古い建物のことを思いだし、私は伊澤さんたちと一緒に志多留の家主のところへ借用のお願いをしに行った。家主の方には契約書の作成を頼み込んだり、食事をごちそうになったり本当に良くしていただいた。現在でも志多留には大学生達が謂査のために時期的に宿泊されているが、貸家がない地区では本当に重宝であったと思う。
 その後は伊澤さんと当時九大の大学院生だった鑪(たたら)さん(現在、対馬野生生物保護センター勤務の環境庁専門官)とが調査を担当された。鑪さんは、動物相手の地道な研究をこつこつと頑張っておられたが、初めの頃は深夜の野外調査中に朝鮮半島からの密航者と間違われて警察官に色々と尋問されたりして大変だったと私に話して下さった。

 このように1985年以来の調査結果により、上県町はツシマヤマネコの重要な生息地であることが明らかになり、環境庁が整備する対馬野生生物保護センターの当地への建設の推進となったのである。上県町としても民有地の購入に創生基金を活用したり、長崎県や国への働きかけに努力して、1997年7月31日対馬野生生物保護センターが棹崎公園内にオープンしたのである。その他にも長崎県によって「対馬自然の森」の保護観察棟と野外飼育ケージが完成して現在に至っている。

 環境庁のツシマヤマネコ保護増殖事業では、人工繁殖用のツシマヤマネコは重要な生息地である上県町には手を付けずに町外で捕獲するということで大変に苦労されていた。捕獲作戦がスムーズに進まない折り、1996年7月のある朝5時30分頃、私は志多留で農業をされている野田さんから電話をもらった。早朝のためびっくりして受話器を取ったのであるが、野田さんは次のように言われたことをはっきり記億している。
 「川本のあんさまですか。私は志多留の野田ですが、あなたの仕事以外ですが、ヤマネコの係はどなたでしょうか。」
 私が「水産観光課の安重(あんじゅう)君ですよ。」と答えたら、「私はその方を知らないので話を聞いて下さい。」と言われた。
 「シカが米苗を食べるのでたんぼの周囲に張った防護柵のネットにヤマネコの仔がかかっているが、どうしたらよいでしょうか。」と言われたので、私は「すぐ安重君と行きます。」と答えて出かけたのである。早朝のため安重氏は起こさず、私が一人で出かけてかごの中に仔ネコを収容したのである。突然のことであり、まだ対馬野生生物保護センターも完成しておらず、どこへ持っていけばよいか考えた末に、県のヤマネコ調査員だった山村辰美氏を思い出して山村さんの自宅まで運んだのである。このヤマネコの幼獣は上県町産であるが、ケガをしている可能性もあるということで福岡市動物園に移送され、結局人工繁殖用の個体第1号になったのである。現在も人工繁殖計画のため非公開で動物園で飼育されているのであるが、少しでも携わった者として逢いたい気がする。

 いろいろと述べてきたが、上県町の水産観光課長として今ツシマヤマネコのために私にできることは、町の担当者らと協力しながら、対馬野生生物保護センターの鑪さんや長崎県の担当職員、研究者の先生方、「ツシマヤマネコを守る会」の山村さんなどのご指導を受けて、まず地域住民や対馬島内外の人々にツシマヤマネコの本当の姿を知ってもらうことが何より大切であると感じている。現在対馬野生生物保護センターでは飼育中のツシマヤマネコをモニターカメラを通して観察することができるが、現状のモノクロ映像では来館者や研究者にとって不足であるため、上県町では県の補助金を利用してこれをカラー化することを計画している。
 そして、上県町のシンボル・対馬の宝であるツシマヤマネコをこれ以上減らしてしまわないように、車や犬による事故の防止とPRに努めていかなければならないと考えている。


とらやまの森第6号

 

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